Make your own free website on Tripod.com

Last Updated 03/31/2001
[3/1] [3/2] [3/5] [3/6] [3/8] [3/10] [3/12] [3/14] [3/16] [3/18] [3/19] [3/23] [3/25] [3/28] [3/30] 4月の日記へ
03/30(金) 久しぶりの病院

3月最後の日がやってきた。私たちの部署クローズの日。実際の引越作業は4月入ってからだけど、オフィスに3人がいるのは今日で最後なので、社内の他の部署の人たちを交えて送別会の企画があった。が、私は風邪が治るどころかひどくなっていたので、病院に行った後速攻帰った。

その病院は会社のビルの2階にあって、午前の部は1時半まで、午後は3時半から、ということだった。1時25分頃突然行こうと思い立った私はダッシュで2階へ降りた。まだ1時半じゃないのに、入り口のカーテンが閉まってる。どう時計を見てもあと5分あるはず、と思って私は強引に中に入った。するとベテラン看護婦さんが、
「15分までなんです。受付は。」
「え?書いてないですよねえ。じゃあ、午後の部は何時からなんですか?」
「3時半です。」
「受付は?」
「3時半です。」

私はぷんぷんしながらオフィスに戻り、なんて殿様商売!と先輩A氏にぐちった。受付は15分まで、とかどこかに書いてくれればいいのに、どこにも一言もかいてないぞ。それなら午後の部の始まりも受付は15分前からやればいいのに。それに、なんで休憩時間が2時間もあるんだろう?

結局3時半過ぎにもう一度行った。かなり待たされる。熱を測ってくださいと言われたので、今回風邪をひいてから初めて熱を測った。38度8分。思わず「え〜っ」と驚く。看護婦さんは何を勘違いしたのか、32度なんておかしいわ、といってもう一度測るように言われた。今度は39度1分。さらに「え〜っ」である。私の子供の時の感覚で言えば、この高熱では涙が出てきて畳の上をのたうちまわるくらいすごいことだったのが、気づかずに会社で働いてたなんてすごすぎ。確かに涙目ぽくて、寒気もして、仕事にならなかったんだけど。

先生はおじいさんで、まず両手を差し出して来た。私はどう反応していいかわからずに、どこか触りたいのかなあ、届かないのかなあ、なんて考えてずりずりと向き合っている先生の方へ近づいてみた。実は先生は私の手を取りたかったらしい。かなり不可解な行動をしてしまった。でも私これまで、お医者さんにまず手を握られたことなんてないぞ。不思議だ。

レントゲンまで撮られて、自分の骨をまじまじと見たら、きちんと肋骨とか鎖骨が並んでいて感動。肺炎にはなってないけど、ちょっと血管炎??とか何とか言っていた。結局薬5種類を出してもらう。注射もお願いした。痛い筋肉注射だった。はあ、土日は養生せねば。

03/28(木) 風邪に倒れる

佐賀からそのまま九州の南の方へ向かった。菜の花マーチではりきったせいかいきなり風邪をひいてダウン。お風呂も入らずご飯も食べずに寝ていた。くすりやを見つけては寄って、箱ティッシュ片手に栄養ドリンクと薬漬けである意味思い出深い旅だった。買った物は厄除けお守。

まわりの人たちにも迷惑だし、やっぱり旅には体力がかんじん。これから旅に薬一式は携帯しようと心に決めた。そういえばこの時期、小学校も大学も卒業式のあと熱出したなあ、なんて思い出した。

03/25(日) 吉野ヶ里 菜の花マーチ

母親に誘われて10キロのウォーキングイベントに飛び入り参加した。あいにくの小雨の中、吉野ケ里遺跡をスタート。山の方へ川沿いを片道5キロのコースを列になって歩く。父親は私が歩ける靴を持って帰って来なかったら自分のシューズを貸してあげる、と張りきっていたらしいけど、お父さん、私の足は4センチほどあいにく小さいのです。紐を締めてもだめだってば。

第7回目のこのイベントでは他に20キロ、40キロのコースがあって、週末の二日間で参加者は8千人だという。町おこし風のこんなイベントに参加するのは初めてだったけど、ゼッケンを見ると、全国各地からたくさん人が来ていた。小さい子供連れの家族もいてそれぞれのペースで長い列になって歩いた。菜の花が土手やあちこちに咲いて、桜の木も花が開いていてきれい。途中でつくしを集めている人もいる。きょろきょろしながら、母の友達二人も全員完歩した。

きっと地方のマラソン大会とかもそうだと思うけど、ウォーキングイベントはそれほど資金のかからない町おこしでとってもいいアイデアだと思う。参加する方も1000円(お弁当別)で1日遊べちゃう。お茶や豚汁のサービスもあって嬉しかった。

歩いた後にいきつけの古湯温泉へ。露天風呂から出て中に戻ってきたら、ヒノキのお風呂でおしゃべりをしている人がおばあちゃんに似てる!やっぱりおばあちゃんだった。私より前に母が気づいていたので、私が
「おばあちゃん。」と声をかけると、
「あら、おかえり。」と言われた。
今回の帰省でおばあちゃんに会えるとは思っていなかったので嬉しかった。

03/23(金) 祇園で飲む

福岡で妹の部屋に一泊した。妹の部屋は博多駅から歩いて10分ちょっと、キャナルシティーに近い祇園の新築マンションで、1度行って見たかったのだ。

35平米の1LDKはトイレもお風呂も、どの部屋にも窓があって、鏡もシンクも十分大きいシャンプーもできる洗面台、お風呂場にも鏡と物入れ、トイレはウォシュレットにトイレットペーパーホルダーが2つ。妹的には、このワンタッチ式のトイレットペーパーホルダーがお気に入りらしい。都心だったら10万はするだろうなあ。中州に近いのに相場がお手頃でうらやましい。私も引越したいなあ、と本気で考えた。

弟も市役所の近くに住んでいるので、一緒にご飯を食べようと電話する。
「今、ケンタッキーフライドチキン買うてきた。明日の朝食べてもよかけど。」
結局弟は自転車でやってきて、3姉弟で『うま馬』へ。ビールを飲みながら、焼鳥、餃子、ラーメンを食べる。気楽な独身一人暮しの3人、珍しく博多に集った夜だった。

03/19(月) 引越を手伝う

新築物件への引越を手伝った。正確に言うと手伝ったというより観察した。プロの引越専門業者の作業を見るのも、新築物件への引越も始めてだったので、とってもおもしろかった。ドラえもんのトラックじゃなかったのが残念だったけど、某大手引越会社からリーダーと若いアルバイトらしい男女が二人。養生の道具などそろっていて、なるほどプロだなあと感心。

洋室に大物を運んでいたリーダーに、
「フローリングの床は緊張しますね。すぐ傷つきそうじゃないですか?」
と話しかけると、
「いや、大丈夫ですよ。そのへんは、プロですから安心してください。」
「さすがですねえ。」
「プロは約1名ですけどね。」
なんて話していた矢先に事件が起こった。

若いアルバイトの男の子が小さい冷蔵庫をリビングへ運んで来て、場所を確認して壁際に置こうとした瞬間、その彼はよろけて冷蔵庫を持ったまま壁にぶつかった。
「あ・・・」
まっさらの壁に傷が、、、クロスが完全にはがれて少し穴があいた。

リーダーから怒られる。
「だから言っただろ。無理だと思ったら1度置けって。」
「もう、部屋の中は俺がやるから。」
「すみません、俺の責任だ。許してもらえないですよね。」
前までは全額(多分引越費用全額ってことだと思う)会社から出たけど今はリーダーの責任で自腹で補償することになっているらしい。事故といえば事故だと思うけど、新築なだけに部屋を出るときの敷金への影響が心配。

その後も家の外でアルバイトの彼は怒られていて、ちょうどそこに
「あれ、傷つけちゃったんですか?」
といいながらガス屋さんがやってきた。

結局全部運び終わってからリーダーは、クロスをコンセントの裏から少しとって貼ってみることを提案。必死で傷かくし作戦にとりかかった。補償を求められたら、事故班を呼んで補償の手続きをすることになるらしい。傷や汚れをかくす技は、きっと知っておくと便利だと思って注目する。コンセントのケースをはずして、裏の部分からカッターでクロスを切り取り、ボンドで傷の上に貼る。遠くから見るとほとんど目立たなくはなった。

結局許しが出て、料金を受け取ったリーダーは
「これアンケートです。悪いとは思いますけど、よかったら書いて下さい。」
と嬉しそうに帰って行った。

私が自分で引越屋さんを頼んでいたら、安くない料金だし補償してもらうかもしれないなあ。でも、一生懸命な人たちの姿を見てるとちょっと気の毒な気もする。事故とか補償とかいう言葉にはちょっと食傷気味の今日このごろだし・・・

03/18(日) ザ・リッツ・カールトン大阪

荷物に入れた水着を、予定通り使ったあと、ホテルのバスルームに吊るしたまま忘れてきてしまった。
いかにも私がやりそうなことだけに、ショック。さっき電話したら、着払いの宅急便で送ってくれるらしい。いかにリッツでもタダではなかったか。今回は結婚式に招待してくれたEちゃんが手配してくれたため、宿泊費は出してないのに最上階の角部屋で、フィットネス&スパも使ったから多くは求めないけどさ。

ホテルも結婚式もとってもゴージャスだった。4人仲間で頼まれていたスピーチも新婦の寮生活を暴いて無事(?)終わった。新郎が保険のコンサルで大阪で異業種交流会を主催しているアクティブな人なので、いろいろな人が列席していた。驚いたのは元オリンピックに行ったバレーボール選手の女性が、金・銀のメダルを持って来ていたこと。

その使い道はというと、新郎新婦のご両親の気持ちを思いやるスピーチの終わりあたりにいつの間にか、両家のご両親が前の方に並んでいて、それぞれの首にメダルをかけて写真撮影をさせてあげるという余興(?)だった。こんなのは始めてみた。メダルはこうやって使うのか、と思った。。。

Eちゃんは大学の入学式でとなりに座って以来、学科、寮、テニスサークルも同じで旅行仲間でもある。見かけによらずたくましいとか、大声で笑うとか、色々言われていたけど、本当にかわいい。ウェディングドレスも、真っ赤なドレスもとても似合っていて素敵だった。旦那様も嬉しくて嬉しくてしょうがない様子。

色々な結婚式に出席したことがあるけど、どんな式でもそれぞれ新郎新婦らしいものにできあがって楽しい。今日も心に残る結婚式だった。

03/16(金) 28歳年下のボーイフレンド

最も若い男友達と久しぶりに会った。彼の両親と4人で青山でイタリアンを食べる。 彼が私と向かい合った机で働いていたUちゃんのお腹の中にいたときからの知り合いだからかれこれ3年ちょっとになるけど、世の中に出てきて2年半、どんどん大きくなる。

ママのUちゃんが表情豊かな人だからか、良く笑うしかわいい。「ねえねえ。」って手をぱたぱたして話しかけるし、パンについてたバターをそのまま食べて「おいしい。」ってすごい嬉しそう。大人はちょっと理解できない味覚だけど、あの笑顔にウソはないと思う。お店のお兄さんも色々かまってくれて満足そうだった。表参道を歩くと、走り出したり、止まったり、うずくまったり、幸せそう。

Uちゃんは私がアメリカに住んでいた間、マタニティーブルーで苦しんでいて、私に手紙を出しに郵便局まで出かけることが唯一の楽しみだった、と言うけど、私もUちゃんからの手紙がいつも楽しみだったなあ。2つ年上の彼女は前の会社でパートとして働いていたんだけど、なぜか気があうっていうのか、毎日毎日おしゃべりをしながら働いてたなあ。今もだけど、どんなことでも話を聞いてもらえる。

今日の約束をしたとき、私は勝手に子供は預けて来るのかなあ、と思ったけど、金曜の夜の青山だろうがどこだろうが、別に子供がいていけないことはないんだな、と気づいた。アメリカ人なんて生まれたばっかりみたいな赤ちゃん連れまわしてるもんね。彼はちびっこ仲間の間では外食に慣れてるおりこうさんらしい。

おなかいっぱいが続くこのごろなので、週末結婚式で泊る大阪のホテルでプールに行こうと、水着を荷物に入れた。

03/14(水) 退職届

退職届を提出した。
まず人事からもらった「退職願」というひな型を、願っているわけじゃないという論理のもと、 「退職届」と書き直して、理由は「当該部門閉鎖のため」。原則的に退社日は月末とする、という 注意書きも無視して4月15日と記入。シャチハタを押しておしまい。

あとは事務的な処理を一度聞きにいかなくてはいけないらしい。時々思い出すと胸が痛む、 あのオレンジ色の社会保険手帳がどうしても見当たらないこと。やっぱり私が紛失したのかなあ。 人事が預かってくれていますように。

先輩A氏は同じく退職届を出したとたん、ここ数年ドラマの録画なんてやったことのない私に 「諭吉が泣いている」と「HERO」の録画を頼んで南半球へ旅立って行った。 ちなみに私はどちらも1回も見たことがない。成功するかなあ。「礼ははずむ。」って言ってた からがんばろう。

03/12(月) 個人情報

駅前の写真屋さんに結婚式の写真の焼増を頼んでいたので、取りに行った。
ネガごとMちゃんにあげようと思ったので、きれいな方がいいなあと思って、焼き増しの枚数をプラスチックフィルムの上から赤で書きこんだ数字を消してください、とお願いした。ティッシュとかで消せますよ、と言われたのだけど、その場でお店の人にお願いした。ごしごし消しても、あんまりきれいにならない。前の日は確か新しいものに入れかえると料金がかかると言ってた気がするけど、結局無料で新しいものをくれた。

そんなことをお店の人とやりとりしている間に、若い女性が現像するフィルムを持ってカウンターにやって来た。
店長の名札をつけた男性が応対して、名前と電話番号を聞いて、復唱しながら用紙に記入した。私は隣で待っていたので彼女の電話番号を見てこの近くかなあ、なんて考えていた。すると女性が、

「あのお、電話番号とかは復唱しないで頂きたいんですけど。一応個人情報ですよね。ここは割と大きい店だから他の方もいらっしゃるし、自分で記入するとかそういう方法にした方がいいんじゃないでしょうか。」
店長は、意味が分ったのか、じっと無言で必要事項の記入を終えてから、
「はあ。そうですねえ。上と相談してみます。」
と言った。

私は大体こういうプライバシーとか個人情報とかいうことに無頓着で、名前の書いてある郵便物も最近やっと破って捨てるようになったくらいなので気づかなかったけど、確かにこの女性を一目見て気に入った男性が電話をかけたりすることも可能なわけで、そう思うと一人暮しの私は、その不安は分る気がした。

私は大学時代4人部屋の女子寮に住んでいたせいか、プライバシーとかそれほど気にならなくなっていて、あんまり危機感もない。始めて社会人になって、会社が借りてくれた部屋で、これもまたずっと自宅から通学していた同期と一緒に暮し始めた時も、二人してのんびりしていた。一度彼女が脱衣所の外の自転車置き場から覗かれていた、とびっくりして以来、1階だし、もっと気をつけなきゃと思った。

最近はストーカーもいるし気をつけよう。前に妹が母に、「規則正しい生活をする人しかストーカーには狙われないから大丈夫よ。」と私のことを言ったらしいけど。

03/10(土) 結婚式

大学で研究室が一緒だったMちゃんの結婚式と披露パーティーに参加した。とても良い式だったと思う。

学生時代、その本郷教会には英語を習いに通っていたので、牧師さんもよく知っているのだけど、結婚式は初めてだった。ホテルのチャペルと一味違って誓いの言葉にすごく重みを感じた。ここで誓ったらもう一生守り通さなくちゃいけないって感じ。相手が病気のときも健康なときも富めるときも貧しいときも他人が見放すようなときも。 (誓いの言葉もとっても長かった。)

牧師さんは、結ばれる相手は神様からのプレゼントです、と言ってドイツの詩人の詩を紹介した。
「幸せになりたい人は結婚してはならない。相手を幸せにしたい人は結婚してよろしい。」
「愛されたい人は結婚してはならない。相手を愛したい人は結婚してよろしい。」
「なぐさめられたい人は結婚してはならない。相手をなぐさめたい人は結婚してよろしい。」

結婚式はいつ行ってもほんとに良いものだと思う。Mちゃんは、芯は強いんだけどすごくまっすぐで純粋な人。彼女を知っている人はみんな彼女の結婚を聞いて、私と同様ものすごく喜んだ。みんなが彼女には幸せになって欲しいと思うのは彼女の人徳だと思う。

もう今日は一日中にやにやしてしまった。

03/08(木) JOB HOPPING!?

銀座でキャリアコンサルタントのKと会ってランチをしながら、いろいろな話をした。
最近はフリーターの数が増えて問題になっているけれど、若い人の会社に対する考え方も変わってきていて、 これまでは若いうちはある程度「がまん」をしなければいけないし、それがあたりまえだという認識があったけれど この頃は全くがまんせずにやめて別の会社に移る人が多いという話。もちろん「がまん」さえすれば、管理職になり、 らくで収入の多い身分になれるといった図はたぶん残っていないし、あまりいただけないのだけど。

マツダで希望退職者の応募が予想をはるかに越えたという記事を読んで、 日本人の意識も大きく変わってきているし、転職に対するマイナスイメージがあまりなくなってきたと思う。
それが企業にどう影響しているか。私自身外資系の会社にいて、頻繁に人が入れ替わるのを目の当たりにすると、 やっぱりこれはものすごい損失だと思わざるを得ない。会社は「ひと」でなりたっているから、ある人が会社を 去ることによって、取引先とのつながりにも影響する。出入りが激しいと、事務的な処理から慣れるまでの時間など、 本来なら必要のない時間を割くことにもなる。

逆の立場から見ると、転職を繰り返す場合うまくやらないと生涯賃金は減ると思う。日系アメリカ人のKは、 アメリカではみんなキャリアアップのためにどんどん転職をするけれど、だいたいスキルを身につけて目標に向って ステップアップするものだと言っていた。

そして私も二度目の転職を控えている。

***

GEウェルチ会長「最後の書簡」から 3/1付 日経産業新聞より引用

ウェルチ会長はリーダーを選ぶ基準として4つのEをあげる。
1.Energy  (変化に対応するエネルギー)
2.Energize  (組織のやる気と活力を引き出し行動へと導く能力)
3.Edge  (難しい問題にも「イエス」か「ノー」か判断を下す鋭さ)
4.Execute  (物事をやり遂げる実行力)

目を引くのはリーダーの評価だ。ウェルチ会長は、 「価値をもたないけれども結果を出すリーダー」について、「退社を迫る」と断言する。というのも、このようなリーダー は「他の従業員を犠牲にしている上、上司にはおべっかを使うばかり。形式にとらわれず、信頼を基礎に置いたGEの 文化を壊す。」からだ。 しかも、退社理由は「一身上の都合」といったものではなく「価値が一致しないから」ということを明示する徹底ぶり。 成長を続けながらも企業文化を守ることの重要性を改めて示しているといえそうだ。

***

03/06(火) 東京都交通事故相談所

お昼前に、ニューヨーク出張中の上司Fさんから電話がかかってきた。今日は先日の事故の件で、午後外出して戻らないとメールで伝えてあったので

「どうなったの、大丈夫?」
「ええ、ただ自賠責保険しか使わないんで自分達で話し合いをしなくちゃいけないから、ちょっと専門家の話を聞きに行こうと思って。」
「そうね、時間がある時でちょうど良かったわね。」
あくまでもプラス思考である。

2時半過ぎに都庁の第一庁舎南棟3階へいくと、法律相談コーナーの一部が交通事故相談受付になっていてすぐに受付をして相談員と個室に入った。自賠責の基本的な考え方が被害者救済であることの説明を受け、肝心の過失割合の話に移った。

私は事故を起こしてから、自分が悪くない自信はあったけど、相手が自転車で子供なだけに、こちらが全面的に補償するものだと思っていたが、やはり相手が歩行者でも過失ありとできるらしい。確かにあの場面ではかなりゆっくり走っていたとしても、飛び出してきた自転車との接触は避けられなかったと思う。さっきジョギングついでに事故現場を見に行ったら、私が通っていた道路は優先道路で、子供が飛び出してきた小さい道にはしっかり一時停止の標識があった。夜道をうろうろしながら、標識を確認し、ひとりほほえんでいた私。

都庁の相談員は、事故があまり深刻なケースではなく、加害者である私の態度にも柔軟性があるということでリラックスしているようだったが、同行してくれた事故時の同乗者M氏が、当事者同士で定めた過失割合と自賠責の算定が違う場合どうなるか質問すると、予想以上に深く考え込んでしまった。ちょっと頼りない。まあ、無料相談だし、直接利害関係も責任もない立場だとしょうがないんだろうと思った。過失割合についても、交通事故裁判の判決例がたくさん載った本から、似たような事例を探し出して、ほぼ50:50くらいじゃないかとした後で、他の人の意見も聞きましょう、と部屋を出て弁護士らしき「先生」のところに確認に連れていかれた。この「先生」はその案を認めて、さらに、どう見ても注意すべきは自転車の方だと力強く言ってくれたので、すっきりした。

結果は、車が優先道路を走っていて、一時停止標識のある狭路から出てきた自転車とぶつかった場合の過失割合は50:50。被害者が13歳未満だったら子供の過失を10ポイントマイナス。車がライトをつけていた場合、子供の過失を5ポイントプラス。というのがだいたいの相場らしい。

自賠責は被害者の過失が7割を超えなければ全額出るので、子供の治療費は全額補償されることになると思う。問題は物損、つまり車の修理の部分。これを合意した過失割合に応じて補償してもらう方向で交渉しようと思う。

事故の当事者同士で交渉をして示談書を作るのは面倒くさいけど、とても勉強になった。世の中の保険屋さんはこんなことを日々やっているのか。なかなか大変な仕事だ。警察も無料相談所も弁護士も、人があまり良い関係でない状況に立ち会うことが多いことを考えるとあんまり楽しい職場ではなさそうだな。

追記:
警察に申請する「事故証明」というのは、実は当事者の名前と車の名義、所有者、保険会社等の情報しか記載されていないらしい。私はあの綿密な現場検証と事情聴取によって作られたストーリーのついた事故現場の図がもらえるものだと思っていた。道の幅を測ったり、印をつけたりして、あんなに立派な書類を作ったのに裁判所で交通法上の刑事罰を決めるためだけに使うなんてもったいないと思う。ちなみにコピーをもらえないか事情聴取のあとで聞いてみたが、写しはありません、と言われた。

03/05(月) 花粉症

先週は色々あったため(いいわけ)疲れて寝たきりで過ごした週末のなまった体を動かそうと、YMCAへ行った。3回目の今日は40分のストレッチ。背中とか、肩のまわり、股関節を気持ちよーく伸ばす。つい無理してしまいそうになるけどこの前のヒップホップで懲りたのでほどほどに。

月曜日は空いてるだろうと思ったのに今までで一番たくさん人がいた。インストラクターは細いけど元気のいいおもしろいお姉さん。おじさんおばさん相手の指導がうまい。これもプレゼン能力だな、と思う。異動の時期、神田に異動になりそうだったけど来年もここにいます、とちょっぴり残念そうだった。

修善寺で立てた今年の目標は
「スポーツクラブ入会を検討する。」
だったので、これは達成されたと言えるでしょう。

それにしても目がかゆい。くしゃみも出るし鼻もむずむず。去年突然症状が出た花粉症が、今年突然治るという甘い期待は外れたらしい。

03/02(金) 同郷

上司Fさんの友達で、キャリアカウンセラーのNさんと東京駅で待ち合わせた。この方は私と同じく佐賀県の出身であることが判明、しかも私の伯母を知っているらしい。世の中狭くておもしろい。

「ふくよかで、美人だったなあ。卓球の試合で見たんですよ。」
「髪が長くてねえ、ヘアバンドかなんかしてて。」
「今でもはっきり覚えてますよ。もう60年も前なんだけどね。」
60年も前って言うのは言いすぎだけど、覚えてるもんだなあ。今度伯母に聞いてみよう。

丸の内南口の精養軒で、女性のキャリアにまつわる色々なことをお話したが、Fさんみたいに優秀で強い女性もいて、女性が社会で認められるようになってきているけれども、それとは別に子供はやっぱり父親じゃ育てられないなんて話もでた。Fさんが前の会社でヨーロッパ出張の時に、どうしても子供二人を預けるところがなくて、しょうがなく二人とも連れていって、ドイツに住んでいた妹さんのところに預けて仕事をしたというのは私も聞いたことがあった。
「子供がいるから出張できないなんてことは悔しかったんでしょうねえ。」
昔から戦ってたんだなあ、と思った。

女性は結婚して子供を育てるブランクがあってもその期間を勉強するなりして有効に生かして次につなげるというのが彼の考える理想のようだった。74歳の知り合いがクロロフィルを使ったベンチャーを起こそうとしていて、秘書兼片腕が欲しいなんて話もちらっと出たけれど、当面は会社に残って考えたら、ということで今日は終わった。

Fさんも定年退職してこれから何かやるらしいし、このNさんは64歳、74歳でもベンチャーを起こそうなんて、熟年パワーの力強さを実感した日だった。

03/01(木) 3月の始まり

今日気づいたこと。
3月末までに部内の3人が揃う日は3日しかない。出張や有給休暇で3月は壁の予定表に不在の線がたくさん。 あせってきた。
挨拶状や、オフィスの整理のことについて上司Fさんといろいろ考える。とにかくもうすぐなんだ・・・と実感。

今日は久しぶりにハワイ仲間と飲み会。Kの転職と3ヶ月のシリコンバレー研修の壮行会という名目。転職、ダンナさまの転勤などみんな色々と変化もあるし、大変なこともあるけど、いつもがんばってる前向きなところにとっても元気をもらえる。飲んでしゃべって楽しかった。

さるさる日記は文字数の制限などがあってちょっと不便だったので、ページを一新しました。
今後ともよろしくお願いします。


TOP [3/1] [3/2] [3/5] [3/6] [3/8] [3/10] [3/12] [3/14] [3/16] [3/18] [3/19] [3/23] [3/25] [3/28] [3/30] 4月の日記へ
過去の日記
2001年 1月 2月

Since March 2001. Copyright 2001 Mako all right reserved.