Last Updated 3/30/2003
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3/30(日)来客

月末の週末になると、新聞屋さんが集金にやってくる。土曜日は申し合わせたように2紙ともやってきた。日経は地元のおばあさんが「契約更新しといていいですか」というのでお願いしたら、「じゃ、洗剤を。」と言う。茨城の方言が入ってるような話し方だ。

「いや、うち洗剤は山ほどあるんで別のものが・・・」
ほんとうに洗剤は山ほどあるのだ。この前、数えてみたら18箱あった。
「じゃあ、ティッシュとか?トイレットペーパー?」
「じゃあ、ティッシュ。」
ということで、おばあさんは「同じ部落内だから」とティッシュ5箱を3つ抱えてすぐに戻ってきた。

そして、日曜日のお昼頃また来客があった。
「お向かいのHです。」
ベランダの洗濯物でも落ちてたのかな、と思って「何か?」とインターホンに聞くと、少しおいて「ご挨拶に。」という返事。引越のあいさつかな。後ろに別の人がいるようだ。取り合えず、ぼさぼさの頭を鏡で確認して、まあいいかと判断して玄関に出てみた。

お向かいのHさんという女性と、幼稚園くらいの男の子に子供があとひとり、後ろに市議選に出るらしい背広の男性と奥さんだか、付き添いの女性がいた。つまり選挙の挨拶まわりらしい。
「わざわざどうも。」と、名刺をもらってドアを閉めた。ロングスカートをはいた専業主婦って感じのHさんは何度も「お向かいのHです。」と繰り返していたけど、どいう反応をすればいいのかよく分らないので、「はあ、どうも。」って答えた。お向かいの2階建ての部屋がつながっている長屋風アパートのどこかの住人だろう。

選挙運動っておみやげは配っちゃダメだけど挨拶まわりはいいんだっけ?ちなみに公明党だった。

3/24(月)戦争よりも

筑紫哲也のNews23で、街の一般人のコメントを聞くコーナーがある。今日はイラク戦争について、街の声を紹介していた。

メディアはこんな風に一般人のコメントを聞いているヒマがあったら、政治家や国に働きかけたらどうですか、という厳しいコメントもあったが、こんなのもあった。

「戦争より花粉症が大変。」

そうよね。戦争が長期化なんかすると、連日の報道も静かになるだろうし、離れた国のことはますます実感が湧かなくなるんだろうな。
次は「戦争より紫外線が気になる。」
って言うようになるんだ、きっと。

福田官房長官は、人間の盾の日本人メンバーについて
「わざわざ危ないところに行かなくても。でもまあ、止めても行くんでしょうけど。自己責任ですからね。」
とコメントしていた。私もイラクがあからさまに盾として使っているのを見ると、事態を複雑にしているだけのような気がして、わざわざ行かなくても、と思う。怖くなったからと言って逃げて帰って来てもいいのに。米軍の兵士だって逃げたい人はたくさんいるんじゃないかな。イラク兵も米軍兵も人間の盾もフセインも、みんな怖くなって逃げればいいのにと思う。

3/23(日)赤川温泉

もう一週間遅れになってしまったけど、先週九州では「愛の賛歌」を聞いただけではなくて久住山に登った。10年以上九州を離れていたら「九州は暖かい」という九州に住んだことのない人が陥りやすい誤解に、すっかり陥ってしまい、雪山と化した久住山にびっくり!荷物に詰めた服をほとんど全部着こんで、普段着になりさがったパシュミナのストールを首にぐるぐるまいて歩き始めた。

朝、赤川温泉の一軒宿「赤川荘」でサランラップを借りて、こそこそと残りご飯と梅干でおにぎりを作っていたら、年配の夫婦の奥さんの方に「登山ですか。」と話しかけられた。その夫婦は前日に登ったらしい。雪がけっこう深いので足がこんなにはまった、とひざのあたりに手のひらを伸ばして教えてくれた。寒くはないけど、とにかく踏みしめられた道を行けば大丈夫らしいとアドバイスをもらった。そのおばさんたちは2時間かかったらしい。宿のおじさんは2時間半と言っていた。

結局歩いていたらどんどん熱くなってきて、上着はともかくババシャツが大失敗。汗で濡れるので、立ち止ってはタオルでごしごし汗をふいた。登りはまだ道が凍っていて霜柱と雪を踏みしめて約2時間半かかった。頂上はさすがに風があって、また上着を着込む。ちょうど着いたとたんに携帯電話が鳴った!母親からだった。山のふもとは圏外だったのにすごい!「今頂上〜♪」とか少ししゃべったら切れちゃったけど。母親によるとすごい風の音がゴーゴーしていたらしい。

下りが大変で、ぐちゃぐちゃの泥道を滑りながら降りたら同じくらい時間がかかった。ちゃんとした登山靴を持っていってて本当に良かった。

黒川温泉に寄って佐賀まで帰ったんだけど、話題の黒川温泉は金曜日だというのに激混みで、温泉は芋洗い状態でがっかりだった。一応ミーハーなので、竹につかまりながら立って入る「立ち湯」に行ったりしたからかな。それに比べて「赤川荘」はとても良い温泉宿だった。普通、民宿って実際に行ってみるとがっかりするんだけど、ここはお勧め。ご飯もおいしいしぷんぷん硫黄のにおいのする露天風呂からは滝が見えるし。山奥の一軒宿で登山口という意味では碓氷峠の霧積温泉に通じるところがあるかな。霧積温泉ほど由緒はなさそうだけど。。。

3/19(水)情報操作

今月9日のサンデープロジェクトをビデオで見た。母親が見て「あんたの会社の名前が出てきたよ」と言っていたし、社内でも話題になっていたから。

この番組では戦争時にいかに情報操作が行われているか、湾岸戦争の例を当時情報操作を行ったとされる会社(私が働いている会社の本社)の元幹部の取材を交えて紹介していた。「戦争広告代理店」]もそうだったけどやっぱり広告代理店という紹介のされ方だった。本当はPR(パブリック・リレーションズ)代理店なんだよね。その辺がなかなか難しくて、いくら説明をしてもだいたい分ってもらえない。自分も2年前まではこんな業界があるとは知らなかったけど。

情報操作っていうほどのことではなくても、結局メディアが報じていることは正しいわけではないってことは覚えとかなくちゃと思う。今回の戦争の報道はどんな風になるんだろう。

3/17(月)愛の賛歌

秋から4件(自分も含む)連続していた親類の結婚式が一段落した。週末福岡で行われた最後の披露宴が一番すごくって、芸能人の結婚式みたいだった。芸能人の結婚式行ったことないから、あくまでもイメージですが・・・

200名を越す客で、シャンパン・タワーというソムリエのパフォーマンスあり、ローストビーフをシェフ自らが切り分けるサービスありで、まさにショータイムの連続。
宴たけなわの頃、トイレに立った妹が、
「外に紅白に出るような有名な歌手がいた。」というではないか!
「だれだれ?」
「小澤征爾みたいな髪型の、白髪でけっこうトシ。」
「・・・ナントカヨウイチやなか?」
「うんうん!ナントカヨウイチて思う!」

菅原洋一だった。小澤征爾で分る私ってすごい。
新婦の母のお友達、と紹介されて登場した菅原洋一が「愛の賛歌」を歌って去っていくまでの間、写真なんて撮らないくせに、父親はカメラを持ってずっと前の方まで見に行くし、母親は、「ディナーショー見に行ったとこれ。」と大喜び。
知らされていなかったらしい若い新郎新婦が、嬉しかったかどうかはともかく、お客は楽しかったよ。

なにより主役の新婦Rちゃん、きゅっとまとめたヘアスタイルのおでこの上に大きな白い丸い牡丹みたいな飾り(わかってもらえるかな?)をつけたスタイルが似合うなんて美しすぎて、見とれちゃいました。
式の前日には、床の間いっぱいの結納一式も見せてもらってびっくり。昆布やするめに打出の小槌、鶴や亀の飾りがついた縁起物がずらりと並んでいて、こりゃあ広い家じゃないとどうするよ、と思ったね。
いやあ、勉強になりました。

3/8(土)風邪&いろいろ

花粉症かな、なんて思っていたらとうとう風邪をひいて、さらに何だか明らかに体重が増えたことに気付いて約1週間弱ってましたが、外の世界は暖かくなっているし、へこたれている場合じゃあない、ってことで復活宣言です。

とか言っても今週は大学時代の友だちMちゃん、Yと中華を食べに行ったりしたけどね。Mちゃんは私と同じように切符代の返金で戦ったらしい。このページ、いつも読んでくれていてありがとう。そうそう新丸ビルの某レストランでサービスが余りにも悪くてサービス料の支払いを拒否したっていう話が出たけど、ほんとあそこはあまり良いウワサは聞かないね。それでもお客がいっぱい来ちゃうのがいけないんだろうけど。

話は変わるけど、子育て中のダジャレイ夫人、ちびっこペースの毎日はとても大変そうですが、がんばれ!と、お休みの夜に静かに読書をしながら思いました。いつも楽しみに読んでるよ。相変わらずきめ細かい(?)ダジャレごとに、はて、と理解に時間がかかったりするけどそこがまたNらしくてウレシイ。それにしてもIちゃんが、将来身長2メートルを目指す和音氏の20年後に目をつけていたとは、恐るべし。競争率高そうだけど。


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